狂戦士ムササビ

持たざるものの因果律への反撃

№0135 無駄な努力とそうでないもの

ひょろひょろのおかっぱ頭のメガネをかけたおっさんナンパ師を渋谷や新宿でたまに見かける。
 
見事なまでにガンシカばかり食らっているが、それでもめげずに声をかけている。
 
おっさんは努力の人であると言える。
 
僕らはさんざん少年時代から努力は美しいと教育されてきた。
 
子どものバイブル少年ジャンプの漫画では、一様に主人公はみんな努力して夢を達成する、強敵を打ち砕く。
 
しかし・・・しかしだ・・・
 
あのおっさんの努力ははっきりいって美しくないのだ。
 
なぜなら、努力の仕方が非常に無駄っぽいからだ。
 
おっさんのことはバカにできない。
 
俺ももうおっさんだし、声かけでは散々ガンシカしまくられたし、アポ・連れ出し等では数十連敗したことがある。
 
今でははっきりと認めることがある。
 
俺は無駄な努力をしてきたと・・・!!
 
あくまで無駄な努力と言ってるわけで、努力自体が無駄であるといっているわけではない。
 
努力には無駄なものとそうでないものがあるのだ。
 
その違いは何か?
 
 
 
若かりし頃は闇雲にでも努力していけば成功すると思っていた。
 
しかし、その努力の方向性が正しいかどうか分からないので、成功するかどうかはギャンブルである。
 
まれに当たりを引くこともあるだろうが、闇雲に突き進んでいるだけではそれがなぜうまいこといったらいいか分からないため、次回以降の再現性がない。
 
努力の方向性が正しいかどうかを頭で考えなければならない。
 
無駄な努力とそうでないものの差はそこにある。
 
頭で考えるというのは具体的には、まずどうしたら成功に近づけるかという方法について仮説を立てることから始める。
 
その次に仮説に基いて対応策を考える。
 
そして、その対応策を実施する。
 
最後にその対応策の結果を踏まえて、仮説が正しかったかどうかを検証する。
 
これらのプロセスを踏むことで次に仮説を立てる際にその精度が向上しており、さらに一連のプロセスをサイクルさせていくことにより、成功にどんどん近づいていく。
 
このサイクルのことをビジネスの世界はPDCAサイクルという。
 
無駄な努力は今すぐやめて、正しい努力をしよう。